【column】手ごたえと試練~阿部友和の開幕カード~

(文=西本匡吾)

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 1914年に南極大陸の横断を目指した冒険家、アーネスト・シャンクソンが残した言葉は、現代に至っても受け継がれている。

「後退こそ、前進のチャンスである」

 代々木第二体育館の通路に作られたミックスゾーンでは人がごった返し、係員は「ここは通路なので道を空けてください」と声を張り上げ、自らの職務を全うしていた。レバンガ北海道が日立サンロッカーズを相手に戦った、10月7日のJBL開幕戦は、北海道のメディアにとっても報道しなければいけない一戦だった。
 試合が終わって10分も経っていない。その興奮を言葉に乗せるように、レバンガ北海道の阿部友和は質問に答えた。額と肩にはまだ汗が残っていた。

「勝てる試合だったと思います。自分たちがやりたいことはできたんですけど、相手がやりたいことをやられ過ぎてしまいました。向こうの流れでずっと進んでいたので。6点差がついて、(北海道が)追いついての繰り返しでした。そのどこかで自分たちのペースにもっていかなければいけなかったんですけど、リバウンドでのミスやターンオーバーが続いていたので、そのミスをなくせれば。手ごたえとしては勝てる試合でした」

 開幕戦、71-74でレバンガ北海道は敗戦を喫した。
 ただ、開幕前にチームの存続が危ぶまれ、チームが本格的に練習を始めて3週間しか経っていなかった。また、JBLのチームは選手の移動が頻繁に行われることはなく、チームの人数が急激に減ることはない。だが、北海道のチーム事情もあり、メンバーが揃う前は自らで体育館を借りて、2人や3人でトレーニングをしていたという。1対1や走ることといった基礎トレーニングが中心だった。
 トーステン・ロイブルHC(ヘッドコーチ)が開幕前のインタビューで「開幕後5ゲームくらいをこなして十分な準備」と話すことを考えれば、十分に光が見えた試合だった。

 周囲に声が飛び交うこともあってか、言葉を濁すことなく、明確に一語一語を発する。

「自分たちはディフェンスをして、ブレイクを出したいっていうシステムが中心にあります。その得点は凄くできていたので、その部分では光というか。それで得点差が6点あっても、すぐに追いついて。10点差以上離れたときも、2分で自分たちは追いつけたんですよね。それはディフェンスをして、ファーストブレイクをどんどん重ねることができたから。その時間が15分もあったわけではないので。もう少しできれば、自分たちのペースでやれる試合ができたんじゃないかと思います」

 シーズンが始まる前、レバンガ北海道は選手間の投票によってキャプテンが決定している。最多表で選出されたのは、クラブの理事長を兼任する折茂武彦でも、日本代表に名を連ねる桜井良太でもなく、今シーズンでJBL4年目を向かる阿部だった。
「チームメイトのみんなが彼に信頼を置いていることが、その結果からもわかりました」とはトーステン・ロイブルHCの言葉である。

「シーズンは長いので、選手個人の気持ちがどこかにいっていたりするときがあると思うので、それをしっかりとまとめるように。その中でも自分がスタートとして出るので。シーズンを通してやっていけば、自分のステップアップにもなると思います」
 
 大東文化大学卒業後、レラカムイ北海道(当時)に加入した。これまでの3年間は、出場機会こそあったものの、その多くがベンチからであった。

「今まで3年間サブだったんですけど、スタメンで出ているんで。自分がスタメンになって負けていたら、何やっていたんだと思うし。やれるという自信があるので、それを信じて。僕がスタメンになったらこのチームは勝てるというのを、今シーズンを通してやっていきたいです」

 スタメンの座をつかみ、チームのキャプテンにもなった。手ごたえを感じた開幕戦でもあった。 続く第2戦、北海道は72-70で勝利をおさめた。だが、阿部は開始3分で左足の第5中足骨(小指の骨)を骨折してしまう。復帰まで、少なくとも1ヶ月以上はかかる。
 チームにとって、そして、阿部にとって、大きな試練の時がやってきた。