仲摩純平選手(島根スサノオマジック) インタビューvol.1

2010-11シーズンは、かつてない成長を感じた。
オフシーズンでの取り組みが、新たなプレースタイルを確立させた。個性が主張し合うチームのなかで、そのプレーは一際目立つものとなった。一方で、落胆せざるを得ないこともあった。6年間所属したチームは、来るべき新シーズンは活動を休止すると決めた。

東京アパッチを創設から支えた彼にとって、初めての移籍となった。
行き際は島根スサノオマジックだった。

(聞き手=西本匡吾/Twitter:@kyogo_nishimoto)

********************

昨シーズンを振り返って

-昨シーズン、振り返っていかがでしたか?色々なことがあった1年だったと思います。

昨シーズンはチームの解散という形で終わってしまったんですけど、本当にスタッフに恵まれ、凄く素晴らしいヘッドコーチの元でプレーできました。自分自身、吸収できることは凄い多かったし、良い環境を与えてもらい、充実したシーズンだったと思います。プレーの面でも、東京にいた過去の5シーズンとは違うスタイルを確立できたことが大きかったです。これはヘッドコーチ(以下、HC)のおかげでもありますね

-確立できたスタイル、とは何だったのでしょうか?

やっぱり、アウトサイドシュートを徹底したことです。HCにも言われて、スリーポイントシュートを決めることを第一に考えました。それでプレーの幅が広がりましたね。今ままでは、僕はどちらかというとドライブやパスが好きで、自分でもどこかでそういうタイプだと思ってたんですよ。あとは、周りを活かしながらチームとして勝てれば良いと。でも、去年のHCは本当にシュートを要求して、自分のなかでもドライブ主体の選手という固定観念があったので、そこを良い意味で払拭できました。アウトサイド主体で、それプラス今までのことを継続する形になって、よりプレーに幅ができたと思いますね。

-シーズン前にシュートフォームを変えた、というのを1月にお伺いしました。

そうでしたね(笑)

-それはHCにシュートを要求されてから、変えたんですか?

HCから言われる前ですね。シュートは苦手ではなかったんですけど、自信があったというわけでもなく。自分のプレーのひとつとして、アウトサイドシュートがあるという感覚でした。高校生のときから体を見てくれている、広島のケアウィングというリハビリやトレーニング施設を運営しているところがあって、そこの施設長さんから体を安定させることや肩甲骨の使い方を教わりました。その人はバスケットボールをやっていたわけではないのですが、教えてくれたことはシュートフォームに繋がるのではないかと思い、実際に取り入れてみたら良い結果が出て。さらに細かい部分はHCに言われて、シュートフォームを改善できました。

-フォームを変えるというのは、相当思い切ったことだと思うんですが。

自分で今まで積み重ねてきたものがあるから、他の人に「こうしろ」と言われたら辛いと思うんですね。でも、僕は自分でそれを気付けたので、その分良かったと思います。自分でシュートを打って、この方が良いなと思って、どんどん変えることができたので。頭ごなしに「こうしなさい」と言われたら、僕もストレスがかかるし。自分のなかで気付いて、いけないところを見直して。これを繰り返して、良いなという感触を確かめながらフォームを変えた結果が、僕は良かったかなと思いますね。

-なら昨年の今頃は、結構手応えをつかめていた時期だったんじゃないですか。

つかめていましたね。結構自信あったんですよ。去年のオフ、6月、7月くらいに徹底して体のコーディネートトレーニングをやってもらい、施設長さんにも相談していて。その上でフォームを作り変えていたときに、凄くしっくりくるところがあって、これは次のシーズンは楽しみと思っていましたね。

-シーズンが始まって、2試合目。仙台89RESとの試合で28得点を奪いました。もうここでしっかり成果が出た形?

その28点を取ったときもそうなんですけど、その一つ前の試合もスリーポイントが3/5で、プレシーズンも2回あったんですけど、全部入っていたんですね。さらに言えば、良い感覚だなと思ったときから入るようになってきていて。ちょうどそこから全体での練習がはじまり、HCから指導してもらったんですけど、練習でも凄くシュートが入ってました。ちょっと自分でもビックリするくらい。相当自信はあったんですよ。仙台との2試合目は打つ回数が多くて、どんどん打ったら入ったという形ですね。

-シュートが入る感触としてはプレシーズン前からしっかりとあったんですね。

ありましたね。

-以前は、ドライブやそこからのパスが主体の選手だと思っていた。プレースタイルへの決別、迷いみたいなのはありませんでした?

ドライブやパスは良い部分として今まで認められていたので、そこは捨てるわけではなくて、アウトサイドシュートもある、というイメージでプレーしてました。特に東京アパッチというのは選手の個性が強くて、能力のある選手が多かったので、僕はどちらかといえば黒子役に徹して、上手くチームが機能するようにということばかりを考えていたんです。それまであった良い部分は認められていたので、そこは残して。決別というよりも、アウトサイドシュートが入ってきて、去年のポジションが確立されたという感じですね。

-武器がひとつ増えたという感覚?

そうですね。スリーポイントがあるということは、ディフェンスも警戒してアウトサイドに広がってきますから。そうしたら、やっぱりドライブは自然にいきやすくなったし、アウトサイドに張ることでプレーの幅が広がったというのは凄く実感しました。

-プレーの面で飛躍されて、平均得点も2ケタに乗り、オールスターにも選出されましたね。

周りにも恵まれていましたね。それなりのプレイタイムも貰えていたし、「空いていたら全部打て」と他の選手からも凄く言われていました。

********************

東京アパッチについて

-一方、東京アパッチというチームでいえば、決して良いことばかりではなかったシーズンだったと思います。3月にはシーズン途中での中断があり、6月には今シーズンの参戦が不可となってしまいました。

3月の中断のときは、みんな一緒の場所で、選手とスタッフがいろいろと話し合いをしました。その週の試合が富山へのアウェー戦だったんですね。この状況で富山に行く事はどうなのか、を話して。その中には行ったほうが良いという選手もいたし、行かないほうが良いという選手もいました。各選手で自分の意見はある一方で、凄くそれに迷いがあったんですね。会社としては、そういう迷いがあるなかで試合をするのはどうなのかと。あとは、余震もあり、原発の問題もあったし。そういう中で、会社は選手とスタッフを絶対に守ならければいけないということで休止になりました。選手を手放すということではなくて、東京に所属したまま、危険だから一時避難という形です。本当に残念で、シーズンを最後まで続けたかったんですけど、そういう会社の意向は僕達にとって非常にありがたいことでした。ブースターの方々には申し訳ないんですけど、あのときのベストの判断だったのかなと思います。

-電気も止まった状況で、止むを得なかったと思います。

あと、6月のことですよね。それを見たときは、凄いびっくりしました。僕らも知らなくて。

-ということは、プレスリリースで知ったんですか?

いや、発表の前日の夜に社長から電話が掛かってきました。そこで残りのシーズンをやれないことになった、ということを告げられて、凄く現実として受け止められなかったですね。その後、改めてリリースが出て。でもやっぱりどこかで、東京アパッチはなくならないだろうというか。これまでも何回か危機はあったけど、必ずやってきていたので。そういう安易な部分も自分のなかでありました。みんなもしばらく動向を伺うような感じでしたね。僕は東京の初年度から青木康平さんとプレーしていて、僕らは思入れもあったし、どうしてもあのチームで優勝したかったので凄く残念でした。僕はよく康平さんと連絡をとっていましたね。普段からよく行くんですけど、二人でご飯を食べに行き、いろいろと話合いました。リリースがあって1週間、2週間が経ち、もうそこからは現役を続けたいという気持ちもあったので、他のチームとのコンタクトをとり始めました。

-09-10シーズンの開幕前もそのような形でしたね。

昨シーズン、運営会社はEVOエンターテイメントでした。その前は、エクスターエンターテイメントが運営していて、それも本当にぎりぎりのところで、開幕一ヶ月前くらい前に決まって。さらにそのひとつ前のシーズンでもそういうことがありました。そういう危機のときはいろんなうわさが飛び交うんですね。なので、変に自分が騒いだら周りはもっと騒いでしまうと思ったので、リリースが出て二週間くらい冷静に経過を見ようと思いました。そして、本当にやらないとリーグもチームも言ったので、島根を含めていろいろと話を始めましたね。

-5月、6月に東京から契約の話はありましたか?

個人的にはなかったです。でも、来年はやる方向だったという発表はありました。やるからと言われて、体育館はここにとって、来期はここのスポンサーでというのは決めていたみたいですね。その話を聞いていたので、僕らもやるんだなと思っていたんですけど、リリースの直前にこの話を聞きました。

-その後、おそらくですが、いろんなところからお話があったと思います。島根を選ばれた理由というのは?

東京の参戦休止のリリースが出て、早い段階で声をかけてくれたチームがひとつあり、その次が島根からでした。一番惹かれたのは、スタッフの方々とジェリコHCの双方から来て欲しいと言われたことです。それはやっぱり、嬉しかったですね。さらに、ジェリコHCというのはヨーロッパ、世界的にも凄い優秀で、実績も経験もあり、元日本代表のHCです。僕はプロバスケットボール選手である以上、とことんバスケを突き詰めていきたい、学べるものは学びたい。それを考えたらジェリコHCのもとでやるのが一番ベストかなと思い、島根に決めました。

********************

vol.2は今シーズンを迎えての意気込みと読者から質問がテーマ。9月8日に掲載予定。