2011-12 シーズン新参入 千葉ジェッツ代表取締役・梶原健 インタビュー(vol.2)

 千葉ジェッツの代表取締役を務める、梶原健さんへのインタビュー(vol.2)。現在、梶原さんの年齢は30歳。スポーツチームの経営者としては非常に若い。その理由は、高校から大学へ進学するときに早くも現職を目指していたからである。

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千葉ジェッツ代表取締役・梶原健 インタビュー vol.2

―チームを作るというのは高校生の時に目指したというのをお伺いしました。
 高校を卒業する前、大学進学の時からですね。

―それまではプレーヤーだったのですか? 
 そうですね。小学校から高校までプレーしていて、大学に進学する時もバスケットボールをプレーするという選択肢はあったんです。でも、バスケットで飯を食っていきたいと思ったとき、大学に進学後、就職はどうするのかと考えたんですよ。上を見たらプロリーグがなく、ちょうど私が高校を卒業するときは、実業団のチームが次々になくなっていく時代だったんですね。自分が卒業する頃には実業団のチームはないんじゃないかと思いました。大学でバスケットボールだけをやり、その先がないのは全く意味がないと思い選択肢を変えました。選手ではなく、その環境を作っていこうと切り口を変えたんですね。それで大学も急遽違うところに行きました。

―いかにしてバスケットを広げるかという部分を構築していったと。 
 私が高校を卒業するくらいに「地域密着」という言葉がスポーツ界のキーワードとなっていました。Jリーグの影響もありましたね。それを受けて、やっぱりスポーツチームというのは地域密着じゃないといけなんだなと思いました。なので、まずは地域について勉強しようと。地域が活性化する仕組みだったり、人々が賑わって地域にお金が落ちる仕組みだったり。そういうを勉強をしようと思って、大学と大学院では建築の都市計画をずっと学んでいました。就職後の仕事自体も、新日鉄都市開発という街づくりをしている会社に入りました。

―入社後、具体的にはどのようなことをしていたんですか? 
 最初に働いていたところでは、超高層マンションの企画をやっていました。30階40階建てのマンションですね。まっさらな土地からどんなターゲットにどういう生活をして欲しいかとう点から、間取りやデザインを考えたり。設計会社やゼネコンをまとめてひとつの建物を作っていきましたね。芝浦工業大学の芝浦キャンパスの立替もやりました。その芝浦の仕事が完成して、それがひとつ自分の中で自信になりました。あと、以前、就活生向けの採用パンフレットに出た際に、プロフィールの「将来の夢」には「プロバスケットボールチームを経営すること」って書きましたね。

―凄いですね。それは梶原さんが採用面接の時にも言ったんですか?
 はい、それは採用面接の時も言いましたし、入社してからもずっとそれは曲げずにいました。

―梶原さんが就職前後の2005年にbjリーグが発足しましたが、外からはどう見えていました?
 正直言えば、最初から関わりたかったです。2005年にbjリーグが発足して、ちょうど私が就職したのがその年だったんですよ。タイミングが悪いな、と思いました (笑) もし、自分が1年早く卒業を迎えていたら、真っ先にbjリーグに就職のお願いをしていたと思いますね。

―都市開発とチームの経営という部分の共通点はありますか?
 ソフトの部分は似ています。いかに人を集める仕組を作るか、そこの中で賑わいを作るかという部分で、考え方は一緒だと思います。

―なるほど。そういうのを逆算しながら、高校、大学時代から行動していたんですね。
 そうですね。スポーツチームにとって大切なのは、地域で楽しんでもらえることだとJリーグを見ていて思いました。1人ひとりのお客さんに来てもらって、また行きたいと思ってもらうという環境ですよね。だから、高校3年生の冬から大学の2年生くらいまでは、ディズニーランドでアルバイトをしていましたよ(笑)

―そこで賑わいを作ることや接客を学んでいたわけですね(笑) 一方で、やると決めてからの不安はありましたか?
 不安は今考えればいっぱいありますけど、それを考えても仕方ないんで。自分の中で使命的な想いもありましたね。不安よりも、楽しみのほうが大きいです。開幕を向かえて、いろんな人、特に子供達にバスケットボールを知ってもらいたいです。この環境に入りたい、目指したいと思われるチームを作ることにワクワクしていますし、その分責任も感じています。

―少し話を戻します。最初からbjリーグに携わりたかったとのことですが、社会人を5年経験して、2011年参入のタイミングでチームを作った理由は?
 その理由は3つあります。2009年4月に以前の会社のプロジェクトが完成したこと。2010年に千葉で国体があり、スポーツへ機運も高まっていること。2013年にbjリーグとJBLの統合という話があったことです。2013年ならば、逆算して2011年から入れば、2シーズン経験して、土台を作った後にトップリーグに挑める。スポーツチームは3年後くらいに経営が安定するイメージでいたので。まずは2シーズンを行い、3シーズン目からトップリーグでという考えがありました。

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―最後に「日本のバスケットボールの未来」という点をお伺いできればと思います。これは日本のスポーツ全体にもいえることだと思いますが、まだまだ「観るコンテンツ」としてできあがっていないのかなと感じています。ファイナルも有明が満員とまではいきませんでした。 
 まだまだ未成熟な部分はあると思っています。バスケットボールの未来があるのか否かの部分では、私はあると思っています。やっぱり、裾野が広いですから。裾野が広くて、トップにいくにつれて尻窄みになってしまう競技はほとんどないですよね。

―「カテゴリーあがる程、尻窄みになっている」というのは珍しいことですよね。 
 トップの部分を上手く作りだせば、人気のあるスポーツになると思っています。まだまだバスケットボールを観るという文化が根付いていないので、そこをいかに払拭できるかというのがカギです。スポーツを観ることもさることながら、映画やテーマパークと同じで、ショーを観てもらうのと同じ感覚です。その中でバスケットボールが機能するかだと思っています。

―バスケッボールがまだ観られていない要因というのはどこにあるのでしょうか? 
 単純にいえばまだ知らないだけだと思います。私もbjリーグが発足したとき、近くにいながらもどこでやっているのかは知らなかったです。東京でファイナルをやると各チームのブースターも来ますけど、その方々だけで満員にするのは難しい部分があります。ファイナルに関していえば、土台になっている関東の首都圏にどれだけbjリーグが根付いているかで、集客もかなり違ってくると思います。そういう意味では、千葉と横浜にチームが出来たので徐々に賑わいは出せると思っています。

―2014年でbjリーグができて10周年になります。少し気が早い部分はありますが、5年後にはどのようなチームにしていたいですか。チームの将来像を教えてください。 
 やっぱり、「千葉ジェッツ」という名前が千葉県民のなかに根付いていることです。今年にバスケットを見た子供たちが、千葉ジェッツでプレーしているというのはひとつの目標ですね。バスケットだけではなく、千葉には多数のスポーツチームがあります。スポーツを通して、千葉って活気付いている、千葉に住んでて良かったなと思ってもらえるひとつの要素になりたいと思っています。

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 千葉県に「プロ」バスケットボールチームを創った。10代の頃に描いた夢は、現実となった。
 次なる一歩は、もう、踏み出している。