ジェリコ・パブリセビッチHC(島根スサノオマジック) インタビューvol.1

(文=西本匡吾)

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昨年を振り返って

-もう何回も聞かれたと思うんですが、島根に来た一番の理由はなんだったのでしょうか?

昔、日本代表を率いた時もいろんな人に「なぜ、日本に行く事を決めたのか?」と聞かれたときの答えと同様、今回もひとつの良いチャレンジができると思って来ました。1年が経過しましたが、ここに来て良かったと思っています。

-その良かった点をお伺いできればと思います。

昨年、赤池社長と共にゼロから新しい球団を作るというチャレンジをして、1年経過しましたが、今は良い球団ができたと思っています。メディアにも数多く取り上げてもらいました。昨年は8000人を越えるブースター会員で日本一となり、今年も今の段階で5000人のブースター会員がいます。毎試合が満員になり、試合の平均収入もbjリーグで一番だったんですね。チームも徐々に力をつけてきました。

-島根のヘッドコーチ(以下、HC)になる前、あなたの目にbjリーグはどう映っていましたか?

bjリーグは、私が日本代表のHCだった時に立ち上げから見ているので、良く知っていました。とても将来性のあるリーグだと思っています。現在はオン・ザ・コート3で、各チームとも3人の良い外国籍選手がコートにいますので、結構レベルの高いバスケットボールをやっています。

-他国でもやれる実力があるのに、どうして日本、bjリーグを選ばれたんですか?

ひとつは、ヨーロッパ出身のコーチはヨーロッパのクラブチーム、もしくは一カ国の代表を率いるしか選択肢はないと思っています。南米のクラブチームを指導しているヨーロッパ出身のHCはいないんです。南米のメンタリティー―結構ルーズなところがあるので―ヨーロッパの人には合わず、なかなかヨーロッパの指導者はそちらには行かないんです。私は、日本代表の時に経験した選手達の高いビジョンと、勉強熱心なところが凄く気に入っています。そういう選手たちを指導するのは非常にやりがいのあることです。また、今のヨーロッパの状況はいろんな面で大変なことがあります。例えば、ロシアのリーグは、今は新リーグになっていますけど一度潰されてしまいました。ギリシャでは、経済の状況が酷くなったり。あちこちでいろんな問題が起きて、結構不安定になっています。日本は運営や組織がしっかりされていて、チーム以外のことを考えないでコート上で腕を振れるということは凄く魅力でした。

-チーム以外のことを考えないで挑んだ昨シーズン。bjリーグ1年目はいかがでしたか?

1年目ということもあり球団がそこまで組織的にはできいていなくて、チーム以外のことも多く考えなければいけないシーズンでした(笑) でも、スタッフの方々とは良くコミュニケーションをとり、多くの努力をされていましたので、昨年を無事に終わらせることができました。

-チームのバスケットボールの部分ではどうでしたか?

バスケットボール的に見て、よくあのチームを指導しようという勇気があったというか(笑)

-勇気ですか(笑)

ある意味、私は馬鹿だったのではないかなと思います(笑)まるで、どこまで深いかわからずに池に飛び込んだかなのような気分だったんです(笑)私は自分がやることを信じていますし、どこまでできるかは、良く判断できます。まず、外国人選手は予算や多少の運も必要ですが、どのチームでも揃えることはできます。一方、日本人選手は山本選手、曳野選手は全くプロでの経験がない選手でした。チームトライアウトで薮内選手と仲摩匠平選手、練習生として豊田君の3人を獲得したんです。プロとして、本格的にバスケットボールをやっていないメンバーですよね。また、彼らより、上のレベルには横尾選手がいました。でも、彼もその前のシーズンは怪我をして、シーズンを通してプレーしていなかったです。仲西選手は唯一、bjリーグでシーズンを通して出場していた選手でした。代表選手である石崎選手は、ヨーロッパに行きたいという気持ちがあり、そのためヨーロッパで経験のあるコーチのもとでプレーしたいという希望がありました。でも、石崎選手の場合は代表のときから言い続けてきたことかもしれないですけど、日本代表を第一優先にして、代表の活動があるときは必ずそちらに行かせていました。こういう状況を全部を見ると、当時の自分は馬鹿だったか、もしくは凄い勇気があったなと思ます(笑)最終的には、シーズンを通して50%の確率で勝つことができました。でも、そういう必死に戦えるチームを作るのは、赤池社長とフロントの方々の大きな協力が必要で、実際に彼らができる限りのことをやってくれました。私は練習環境は重要だと思っているのですが、リーグのなかでは島根が一番だと思っています。全員で力を合わせて戦ったんです。環境も、選手たちが最大の力を発揮できるひとつの力の源です。

-シーズンが始まる前は、どれくらいの勝率、勝ち数を予想していたのですか?

正直に言うと、私はシーズン前に勝率は計算しないんです。それが一番は外れやすいところですから、大きな問題に繋がるんです。よく一般の方が、球団の方もされるかもしれませんが、強いチームの枠と弱いチームの枠にわけて、ここでは勝って、ここでは負けて・・・という風に計算されていますが、スポーツでそういう風に話が進んでいたら、スポーツにはならないです。私はどの試合でも思いっきりやって、試合が終わってから、勝ち負けを計算すれば良いと思っています。ブースターの方も一試合ずつご覧になって、一試合ずつ必死に戦って。シーズンが終わった後に、どこまで成果をあげることができたかを評価できるんです。また、スポーツの意味といえば、ただの順位ではなく一試合一試合の戦いぶりにこそ本当の意味があると思っています。

-先ほど、どこまで深いかわからず飛びんだ、とおっしゃいましたが、最終的にそこから吸い上げてきたものは何だったのでしょうか?

まず、新規加入チームの中では、とても高い成績でシーズンを終わらせることができました。最後の2試合まで、ベスト4にあがる可能性を残していました。震災の影響でいくつかの試合をやっていなかったということもあるので、それを含めればより良い試合だったのかもしれません。個々の選手で言えば、横尾選手はとても良い選手になりました。山本選手、薮内選手もクオリティーをあげたんです。石崎選手も目指していた状況判断、高レベルのバスケットボールの知識をここで得て、ヨーロッパでも活躍すると思います。また、日本に魅力的な新しいプレイヤーをつれてくることができました。ジェラル・デービスはブロックショットがリーグ1位でとても魅力的なプレーヤーです。レジー・ゴルソンもクオリティーもとてもレベル高いプレー選手をする選手です。また、こういう仕事をされると、ヘッドコーチの仲間と仲良くなります。試合後、お互い良い試合ができたと、勝ち負け関係なしに話し合うことができました。例えば、島根で行われた、浜松と沖縄との試合では、中村さんや桶谷さんもこの試合はとても良かったと各試合後にコメントをしていましたが、とても良い試合を見せることができたと思います。

また、チームとして得たものだけではありません。一試合だけ多くのブースターを集めて応援してくれるのは容易にできるのかもしれませんが、シーズンを通して毎試合、会場が満員になるほどのプレーをし続けて、実際に会場が満員になるのは簡単なことはないです。しかし、それにも成功したんです。チームとしては、思いっきり必死に戦って、ブースターの方が好むプレーを一生懸命していたわけですよね。それがブースターの方に受け入れてもらい、その次もまた見ようという気持ちにさせることができました。試合ですから、負ける日があるし、勝つ日もありましたけど、戦わない日はありませんでした。このチームが発足して島根県のひとつのシンボルにもなりましたし、地域にも良い刺激を与えることができて、活性化に繋がりました。私はこれまで歴史あるクラブを率いることができていまして、そういうチームはとても運営が幅広く、スタッフのレベルも高水準でした。日本に来たらその基準は落とさなければいけないと思っていたのですが、フロントの方々はできる限りのことをしてくれました。良いフロントがない球団は成功できないと思っています。また、メディアの多くが、このチームを取り上げて、私達もできる限りの協力はしました。お互い、上手く付き合うことができましたね。一年間を通して、常にフロントの方々と協力をしあって、今まで述べたことを成し遂げることができました。

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vol.2は9月11日に掲載予定。テーマは「日本のバスケットボールに必要なもの」と「今シーズンに向けての抱負」