ゲイリー・ペイトン単独インタビューとバスケットボールクリニックの様子

ゲイリー・ペイトン氏が忙しいイベントの合間を縫って、10分間という短い時間ではあったがBasketballnaviのインタビューに快く応じてくれた。
(聞き手・写真/宮川 紀元)

ゲイリー・ペイトン


―今日のイベントを振り返って、どうでしたか?
いらっしゃった子どもたちや家族のために、非常にいいイベントになったと思います。子どもたちにバスケットに触れ合える機会を与えて、少しでもスキルアップできたのは非常に良かったです。

―日本に来るのは、2000年のさいたまスーパーアリーナ(※)以来ですか?
そうですね、(以前来日したのは)2000年のことでした。もう12年、久し振りになってしまうんですけど、日本に戻って来れて非常にうれしかったです。日本に来るたびにいつも熱心にファンがサポートをしてくれて、非常に感謝しています。だから日本に来るのは大好きです。

―2000年当時の日本のバスケットの印象などは覚えていますか?
前回来た時は、これという印象はなかったんです。なぜかというと、そのころの日本のバスケ文化というか、そういうのは生まれたてだったと思うんです。12年後、今日戻ってきて、12年にわたって発展してきた日本のバスケ文化は、まだまだ伸びるところはあると思いますが、非常にいいものになってきていると思います。(以前より)もっと子どもたちがプレーしているのが見えるし、ファンのベースも増えてきたと思いますから、発展がいま見えるというのが印象的です。

―日本のバスケットにはどんなところが足りないと思いますか?
日本には、練習の機会が少ないと思います。うまい選手をプロデュースするには練習時間やコンディショニングはすごく大切で、それを後押ししてくれるトレーナーやコーチなど、そういったベースがなければ子どもたちは自分らしくバスケに集中できません。今は、練習をするときにどこかの施設をレンタルして貸し切ってやらなくちゃいけない。これからもっと、子供たちがやろうと思った時にやれるように、いっぱいバスケ施設をつくっていくことが大事だと思います。

―少しゲイリーさんの話に戻りたいのですが、引退後はどういった活動をなされているのですか?
すごくたくさんのことをやってきました(笑)。自分のレストランをシアトルで運営したりしていましたが、こういったNBAの活動にも参加して、アジア全体をまわって子どもと触れ合えるようにしています。これというアイディアというか、やろうとしていることは、子どもたちに良いバスケ選手だけじゃなく、いい人間、立派な人、胸が張れる人になれるように頑張ってほしいということですね。バスケ選手としてだけではなく、社会にとっても貢献ができるように。そういったボランティアをたくさんしようとしています。

―ゲイリーさんはスーパーソニックスとシアトルに非常に愛着があると聞いています。シアトルに新しいNBAチームを誘致する動きがあるようですが、それにはどう関わっているのですか?
自分もけっこう、その活動に関わっています。クリス・ハンセンというキーパーソンと連携して誘致している企業の協力を得ているんですけども、シアトルは本当にバスケットのチームがあった方がいい都市だと思うんです。バスケチームがあってのシアトル、ともいえるでしょう。今は新しいアリーナを開設する許可をシアトル市から取れたので、これからはチーム作りに集中して2015年を目標に新しいチームをシアトルに誘致していきたいです。

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※…2000年、さいたまスーパーアリーナのこけら落としとして日本、アメリカ、スペインの3カ国が参加して開催された「スーパードリームゲーム2000」。シドニーオリンピックの前哨戦として、当時アメリカ代表だったゲイリー・ペイトン氏もプレーした。

プロフィール

ゲイリー・ドウェイン・ペイトン(Gary Dwayne Payton)
1968年7月23日カリフォルニア州オークランド生まれ。
1990年NBAドラフトでペイトンはシアトル・スーパーソニックス(現在のオクラホマシティー・サンダー)に全体2位で指名され、2003年まで在籍。All-Starに9回選出され、またオールディフェンシブファーストチームに9度選ばれた。ポイントガードでNBAのディフェンシブプレーヤーオブザイヤーを受賞した唯一の選手。
2006年にドゥエイン・ウェイド、シャキール・オニールらと共にマイアミ・ヒートで活躍しNBA FINALの優勝に貢献した。アトランタとシドニー五輪でアメリカ代表として金メダルを獲得。2008年に引退。

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バスケットボールクリニックの様子