8月26日、新潟市横越総合体育館での新潟アルビレックスBBの練習終了後に行った、新規加入の#15根東裕隆選手のインタビューです。(聞き手:荒木ユタカ、文中敬称略)
-今週(8月24日)から外国人選手も練習に加わり、これからやっとチームを作っていく状態だと思いますが、自身のコンディションについてはいかがですか?
「まぁ普通ですね。もっともっと体力を付けていかなければいけないし、もっとみんなの事を理解していかないといけないと思ってます。そこはまだまだ足りない部分ですね。」
-外国人選手はまだ合流したばかりですし、日本人選手についてもまだ練習の回数は少ないと思いますが、現状で新潟というチームについてはどのような印象を持っていますか?
「チームにはビッグシューターがいるし、外国人選手もセンターがしっかりしているし、ガードもいます。まだまだ知らない部分もあるんですけど、(彼らが)何が得意かという事を理解してバスケットをやったほうが楽しくなるかな、と思ってます。日本人もそうですが、得意なことを見つけないと絶対に上手くならないと思うんです。それをどんどん見つけて、彼らがそれを出来るようにしてやれればいいと思ってます。」
-廣瀬ヘッドコーチについてはどうでしょう?
「バスケットに熱い人だな、と。あとは、ひとつひとつが細かいですね。僕は今までそういった指導をしてもらった事は無かったので、新鮮だし、いい考え方をもらえると思ってます。」
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-それでは根東選手のこれまでのキャリアについて振り返ってみたいと思います。バスケットを始めたのは出身地である徳島県海部郡、牟岐(むぎ)小学校でのミニバスからでしょうか?
「4年生くらいからですね。その頃の身長は普通よりちょっと大きいくらいでした。」
-牟岐中学校ではもう大きかったでしょうか?というのは、海南高校に入った時点で183センチの登録になっていたので。」
「ありましたね。中学で180くらいありました。」
-すると、当時はインサイドをプレーしたいたんでしょうか?
「そんな事もなくて、中学の頃はやりたい放題やってましたね。とにかく走って、ドライブしたり、ボール持っては1対1やって。」
-進学した海南高校(現在海部高校)は当時、徳島では強豪校で、徳島県代表として出場した四国総体では1年でメンバー入りしていました。
「でも、途中からしか出てないですけどね。ちょくちょく使ってもらいました。1回戦で京北(東京)に負けてしまったんですけど。」
※海南高校は現在、統合されて海部高校となっています。
-秋のかながわ・ゆめ国体では徳島県代表として、唯一、1年生としてエントリーしてますね。
「この時は兵庫県に1回戦で負けたんですよ。」
-続くウィンターカップでは、小林(宮崎)に負けてますね。
「そうですね。北郷にやられました。」
※海南 69-78 小林、同校には北郷謙一郎(元OSG)、清水太志郎(bj宮崎)、瀬戸山京介(bj京都)らがおり、同大会のベスト4まで進出するも、田臥、菊地、若月を擁する能代工業に敗れている。
-翌年、2年生の時はインターハイ、ウインターカップとも出場できませんでした。
※岩手インターハイには徳島県から善通寺第一高校が出場。かつて新潟A2、そしてbj高松に所属していた山崎哲男がプレーしていたが、1回戦で新潟商業に58-113と大敗。この大会で、新潟商業が全国優勝を達成。メンバーには勝山祐樹、木村匡宏、藤田浩二らの他、1年には日下光(現bj仙台)がいた。また、ウィンターカップには城東高校が出場したが、1回戦で板柳高校(青森)に勝利するも、2回戦で世田谷学園(東京)に敗れている。
-2年生の時は、唯一の全国大会となる国体には出場してますね。
「熊本国体ですね。1回戦で地元の熊本に勝って、2回戦で千葉に負けてます。(開催地の)熊本は、たぶん(徳島が)一番弱いと思ってたんでしょうね(笑)。」
-この時には、もうチームとしての主力だったんでしょうか?
「そうですね、出ていたと思います。ポジションは2番(シューティングガード)、3番(スモールフォワード)をやってたと思います。その頃からボールを持てばドライブしたり、ガチャガチャやるのが好きでしたね(笑)。」
-続いて3年生の岐阜インターハイ。1回戦で新潟商業ですね。この時は池田がいました。
「そうですね、やられました(笑)。日下と池田・・・あとシューターにやられましたね。」
※海南 81-99 新潟商業、根東29pts、日下16pts、池田18pts。他に丸山景輔、笠原健太郎の2人がそれぞれ25pts、2人合わせて11本の3ptを記録している。
-秋は富山国体。
「この時は能代工業の秋田に負けてますね。」
-そしてウインターカップ、これはインターハイと同じく2年ぶりの出場ですが、ここでは1回戦で豊浦高校に敗れています。
「中川カズ(和之)に41点、直之に10何点取られて、2人で50点以上取られましたね。」
※海南76-100豊浦、中川和41pts、中川直13pts、根東34pts。
-やはり中川兄弟相手に根東選手1人では厳しかったのでしょうか?
「いや、それでもこの時は僕以外の4人も180センチ超えてましたからね。」
-それは大きいですね。しかしこうやって聞いていると、徳島県というのが全国ではポジション的に厳しいようですね。トーナメントで強豪校とすぐ当たってしまう。
「そうですね、ウチは絶対に勝てないですもん(笑)。だいたい有名校にしか当たらないんです。」
-根東選手としては、この頃からオフェンシブなスタイルというか、ボールを持ったらシュートも打つし、ドライブもするし・・・というスタイルだったんですね。
「そうですね、そんなのが好きですね。」
-すると、ポジション的にはやはり2番なんでしょうか?
「そうですね、2番か3番、それが一番楽しいですよね。」
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-大学は関西リーグの天理大学に進学していますが、1年からメンバーには・・・。
「入ってましたね。インカレも出てます。」
-インカレでは福岡大に勝った後、法政大に敗れてますね。
「澤岻ですね。あと板倉とかもいました。」
※1回戦 天理大 80-60 福岡大、2回戦 天理大 51-61 法政大。
-大学でもポジションは2番だったんでしょうか?
「そうですね、2番か3番をやってました。」
-2年の時はリーグ戦で10位と結果が出ませんでしたが、3年では関西学生選手権でベスト4、リーグ戦も5位になってインカレにも出場してます。
「はい、京産大に勝って、筑波に負けてます。」
※1回戦は東京経済大に88-60で勝利。2回戦は関西5位の天理大が、関西2位の京産大に61-59とアップセット。京産大の菊池宏之(bj高松)、根東ともに14pts。しかし3回戦では筑波大(関東6位)に59-94と完敗。筑波戦で根東は20ptsと奮闘するも、筑波の堀里也(14pts)、清水太志郎(12pts)、清水耕介(元bj埼玉、18pts)、瀬戸山京介(14pts)、井上裕介(bj大阪、23ptsらの前に力尽きた。
-4年ではリーグ戦は9位と振るわなかったものの、関西選手権では準優勝という結果を残しています。ちなみに、天理大では島袋脩選手(188センチ、元bj大分)と同級生でしたが、この時のポジションはどうだったのでしょうか?
「その時は僕が1番(ポイントガード)をやってたんです。でも僕が1番をやってたのは、4年生が卒業して他に1番がいないからやることになっただけなんで。」
-では、1番でもプレーしていたんですね。
「天理大はコントロールバスケだったんです。フォーメーションがあって、ボールを運んで、コールして、セットを組んでやるだけだったんです。これはこれで深いというか、1番としての勉強にもなったし、面白いバスケでした。いかにスクリーンを使ってシュートを打たせるかとか、どうやってディフェンスの裏をつくとか、楽しかったです。」
-すると、自由にやっていた高校時代に比べると、大学ではカチカチとしたバスケをやってたんでしょうか?
「いや、結局はやらしてもらいましたよ(笑)。結構勝手にやってましたね。」
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-それでは続いてJBLパナソニック時代に入っていきます。これはどういった経緯だったんでしょうか?やはり学生時代から声が掛かっていたんですか?
「いや、声は全然掛かってなかったんですけど。天理大の先生が、パナソニックの監督さんか部長さんに声をかけてくれたらしくて、それで試合とか見てくれてたようなんです。僕も(大学4年の)3月、4月にホンマどうなるんやろう?という時に話が来て。」
-根東選手としては、やはりバスケを続けたいというのはあったんでしょうか?
「バスケットがやれればいいかな、というのはあって。ちょうどbjリーグも開幕したんで(2005年)、だからバスケ出来るかな、とは思ってました。ただ、bjリーグのトライアウトより先にパナソニックから話が来ていたんで、パナソニックに行くことになりました。」
-パナソニック的にも2005年で川面選手(元bj福岡)がチームを引退した時だったので、同じガードの選手という事もあったのかもしれませんね。この時は同期が西塔佳郎、そしてシーズン途中で福岡から佐藤信長と竹田謙が加入してます。ただ根東選手としては、なかなか試合で出番がもらえない状態が続いていました。清水良規監督の求めるバスケに応えられない部分があったのでしょうか?
「やはり難しかったですね。あと1年目とかは(体の)当たりとかが全く違うんで、全然通用しないって部分が自分の中でもあったんですね。もっと体力面、トレーニング面からやっていったほうがいいのかな?なんて思ったし。でも、試合に出たい!という気持ちもあるし。それで、とにかく練習はしなきゃいけないと思ったので、練習はしっかりやってましたね。」
-続く2年目はガードの玉島大蔵選手が引退しましたが(アシスタントコーチへ)、根東選手にとっては厳しい状況が続きます。
「まぁ、変わらずでしたね。1年目、2年目は。」
-しかし3年目も状況は変わりません。シーズンで出場は7試合、12分のみ。前の2年はメンバー入りしていたオールジャパンもメンバーから落ちました。かなり辛い状況だったと思いますが、しかし4年目、そして5年目とコンスタントに出場機会を得るようになりました(2008~2009シーズン:18試合で173分、2009~2010シーズン:14試合で160分)。
「僕は基本的に2番の控え、永山さんの控えで出てました。平均すると10分くらいなんですが、試合に出られたのはシーズンの最後のほうなんですね。それが納得できなくて。」
-そして、2009~2010シーズンが終わった時点でパナソニックを去る事になったのですが、これはチームからカットされた訳ですね?」
「はい、そうですね。契約社員として毎年やってたんですけど、結局そういう事になったと。」
-その時点で、まずはJBLでの移籍を考えたんですね?
「とりあえずJBLの移籍者リストに載せなければいけないんで、載せてもらって。そこで(オファーが)来なかったんで、bjに行く事にしたんです。」
-bjリーグへの移籍には抵抗はありませんでしたか?
「はい、全然。バスケットが出来るのなら、どこでもいいです。」
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-bjリーグへ話は進みます。bjリーグではドラフトで選ばれてチームに入団する形になりますが、どこのチームに行くのか全く分からない訳です。ここで、どこのチームに行きたいという思いはありましたか?
「そうですね、僕は玉島さん(元パナソニック・アシスタントコーチ)と仲が良くて、玉島さんから「新潟のバスケは面白いんじゃない?」と言われてから、新潟の試合を見てみたんですよ。そしたらディフェンスもしっかりやるし、いろんなディフェンスもしてる。オフェンスもピックアンドロールがあったり、フォーメーションバスケがあったり。他のチームはピックアンドロールばっかりだったりするのに、新潟のそんな所に惹かれていて、「面白いかも」なんて思ってましたね。」
-そして実際に新潟に指名されて、このbjリーグでプレーすることになりました。根東選手がJBLに入った時はまだ外国人がオンザコート2で、そして今はオンザコート1です。これに関して私は印象的な話があって、新潟のスタッフでもある浦上さん、かつて住友金属でプレーされていた方ですが、「外国人1人なら日本人でコントロールできるけど、2人いると外国人が勝手にバスケをやってしまう」という話をされていたんです。
「あ、分かります。それはあると思います。」
-そして、bjリーグでは外国人選手がコンスタントに3人出ている状態になる訳です。根東選手はまだbjリーグでの試合を経験していませんが、試合を見た印象では、どんな風に思いましたか?
「やっぱり、ゴール下は凄いな、戦場やな、と思いましたね。あそこでどうやってパスを通すのか?自分がシュートまで行けるのか?というのも、ひとつ考えないけないところやし。自分は小さい分、ファウルをもらわなければいけないから、そこが難しくなってくるのかな?と思います。」
-根東選手は新潟の入団記者会見http://www.albirex.com/news/1006.html#0628にて、外国人選手とのマッチアップが楽しみというコメントがありました。
「外国人とやったら「負ける」ってのはあるかもしれないですけど、「負けないで止める」というか、スティール出来たりしたら、「いいディフェンスが出来た」と確信できると思うじゃないですか。それを続けていって、チームに貢献できればいいと思ってます。怖い部分もありますけど、やるのは楽しみです。」
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-チーム作りとしてはまだこれから時間がかかると思いますが、根東選手はどういった形でチームに貢献したいと思っていますか?
「チームに言われた事はやります。で、自分がやりたい事もやらないと面白くないと思ってます。ドライブしたり、ノーマークの選手を見つけてパスしたりも、やっていきたいですね。やっぱり自分がやりたいことをやらないと、やっている意味がないと思うんです。それプラス、HCの言うことを理解して、やらないといけないと思ってます。」
-まだチームが整っていない所が多いですが、現状で、対戦が楽しみなチームや選手はありますか?
「やっぱり同期とやるのが楽しみですね。城宝とか、川辺とか。あとは日下もそうですし、志村もそうですね。」
-では今シーズンに向けて、自分自身の目標、そしてチームとしての目標は何でしょうか?
「やっぱり自分の目標はチームに貢献して・・・なので自分の目標というよりチームの目標になるんですけど、結局は、自分が頑張ればチームも良くなると思うし、チームも頑張れば自分も良くなると思うんです。最終的な目標は優勝しかないと思ってます。その為にどうやって自分が優勝に近づけるか、優勝に近づけるか、というのは、やはり練習次第なんだと思います。それが何より1番ですよね。」
-高校時代、大学時代と頂点まではちょっと遠かったですし、パナソニックもいい所までは行きましたが優勝できませんでした。これまで優勝というのは経験してないんですよね。
「それはもう、やっぱり優勝というのは味わってみたいですよね。優勝したら絶対に楽しいやろうな!と思うんです。有明のプレイオフも見に行ったんです。見に行かないと、bjリーグがどんなものか分からないので。その時に、ブースターの熱さというのも分かったし。去年は浜松・東三河が優勝して、MVPが(天理大学の)先輩の大口さんですから。先輩が立っている所に立ってみたいですよ。大口さんとは年代が違うんで、会ってもちょっと話すくらいなんですが、大学時代も凄かったと聞いてました。」
-大口選手とは今シーズンから試合でマッチアップしますからね(笑)。それでは最後になりますが、新潟のブースターの人達に、「根東選手の、このプレーを見てもらいたい」というのはありますか?
「そうですね、まずドライブして、ディフェンスを引きつけてパスをするのと、あとはハッスルプレーですね。声出して、元気で、チームを盛り上げるというのも、やっていきたいと思ってます。」
-今日はありがとうございました。