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2010-11シーズンは、かつてない成長を感じた。
オフシーズンでの取り組みが、新たなプレースタイルを確立させた。個性が主張し合うチームのなかで、そのプレーは一際目立つものとなった。一方で、落胆せざるを得ないこともあった。6年間所属したチームは、来るべき新シーズンは活動を休止すると決めた。
東京アパッチを創設から支えた彼にとって、初めての移籍となった。
行き際は島根スサノオマジックだった。
(文=西本匡吾/@kyogo_nishimoto)
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今シーズンに向けて
-確かオフに膝の手術をされたんですよね。もう練習には参加していますか?
他人練習以外はやっています。相手とぶつかるような対人練習は、9月の中旬ごろになると思います。それ以外の走ったりすることや、練習のドリルはほとんどやっていますね。
-開幕には間に合うんでしょうか?
開幕には全然間に合うんですけど、プレシーズンがちょっと今はわからないかなというところですね。
-ポジションは新チームになっても変わらず?
そうですね。同じだと思います。昨年は青木選手、田中健介選手と3人の日本人がスターターでした。田中選手はバイロン・イートン選手と変わったり、僕が青木選手と1番、2番を組むこともありました。僕はだいたい2番、3番をメインにして、今年もそうなるかなと思うんですが、ただひとつ、日本人のなかで僕が一番背が大きいみたいなんですよ。だから、もしかしたらそれ以上のポジションもするのかなと思いますね。今のところは2番がメインだと思います。
-チームとして、今シーズンの目標はどこに置きますか?
チームとしては、プレーオフの地元開催が目標です。もちろん優勝もあるんですが、これは去年できなかったことなので。貢献したいと思います。
-個人としては?
昨年はもうちょっといけるかなと思っていたときに休止になってしまったので、今シーズンは昨年のスタッツを全部上回りたいと思いますね。あと、このチームは本当に若手が多いです。僕が一番長くこのリーグでやっているので、そういう経験を伝えていけたらなと思います。
-去年は、これからだぞというときの感覚で休止だったんですね。
そうですね。去年はチームとしても、途中からこれでいけるんじゃないかというときにロバート・スウィフト選手が怪我して、彼が戻ってきたら、今度はバイロン選手が怪我をして。で、彼が復帰してさあここから、というときでした。だだから、チームとしても個人としてもここから、というときでしたね。
-少し話しは戻るのですが、東京アパッチブースターの方、署名などいろいろと活動をされていました。
やぱっり、チームがなくなって一番辛いのは、選手もそうですけど、ブースターの方だと思います。やっぱり取り残されるのは彼らじゃないですか。本当に申し訳ないです。
-島根に行く方もいらっしゃると思います。
そうですね。そう言ってくれた方もいました。
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-バスケットボールをやっていて良かったとき、喜びを感じるときは?
得点が決まったときもなんですけど、やっぱり、チームスポーツの良いところは、喜びを共有できるところじゃないですか。だから、ひとりが自分勝手なことをして結果を残しても、チームスポーツは成り立たないし。勝つというチームの目標を達成できたときが、バスケットボールをやっていて一番良かったな思えるときですね。
-大学のときに、部活動から離れているんじゃないですか。そのときはバスケットボール自体への情熱は残っていたんですか?
全くなかったです。そもそも僕はサッカーをしたくて。小学校のときにサッカーもしていて、中学校に進学したらどうしようかなと思っていました。両親がバスケをやっていて、父親はミニバスのコーチだったことあり、僕がサッカーをやりたいといっても、バスケをやれという人だったんです。だから、どっかでやらされている感じがあって、それが大学までずっと続いていたんです。嫌いじゃないからやっていたんですけど、大学のところで情熱がプツンと切れて。卒業後、実業団のリーグにも入れないだろうと自分でも決めてしまっていました。で、大学もバスケを辞めて。そこから1年ちょっと全くバスケットボールに触ってないですね。
-サッカーだったんですね。
サッカー大好きだったんですよ。
-バスケットボールが嫌いというより、サッカーが、したかった。
今はバスケをしてして良かったなと思いますね。辞めたときに自分はバスケットボールが好きだということがわかりました。そこからは、それ以前とは全く違う取り組み方で、プロに入っても変わらずに情熱を燃やし続けていると思いますね。彼女もそうじゃないですか(笑) 失って気付く、みたいな(笑)
-まさにそうですね(笑)
だから、今、バスケットボールに情熱を捧げられているんだと思いますね。あの時に続けて、ここまで来ていたら、結局地に足つかずやっていると思います。もしかしたら、ここまで続けていなかったかもしれません。あそこでバスケットボールに向き合えたというのが凄く大きなと思います。
読者からの質問 ※
-なるほど。あと、質問を募集しまして最後にいくつかお答えして頂ければと思います。まずは、新しいチームの印象はいかがでしょうか?
若いです。雰囲気も若いくて、元気ですよね。あとは、ブースターの応援が凄いです。
-昨年はベストブースター賞を取りましたからね。
応援には本当に驚いています。街のどこに行ってもポスターが張ってあるし、応援していますというのが分かりますから。街をあげて応援してもらっていますね。このリーグの一番根元の部分が、本当に根付いています。
-以前、クラブチームでは弟の匠平さんとプレーしていましたが、プロでは初めてだと思います。また違った味があると思うんですが、いかがですか?
僕が怪我していることもあって、まだ一緒にプレーできていないので、そこはまだわからないですね。弟はどう思っているかわからないですけど、僕はそんなに気にせずにやれていますね。
-ライバルだと思っている選手は?これはリーグ問わず、です。
僕が意識している選手は二人いまして。まずは、チームメイトだった青木康平選手。プレーの面でも僕はいろいろと参考にしたりしています。もうひとりが、トヨタ自動車アルバルク(JBL)にいる渡邉拓馬選手です。大学の先輩でもあります。渡邉選手はリーグが違うので、なかなか見れないんですけど、テレビや、たまに試合を見にいったりしていて。僕は昔からこの二人に影響されていますね。
-青木選手からどういったところを?
僕はバスケットボールというものをわかっていなかったというのかな。あの人は背が小さくて、凄いスピードがあるわけでもない。でも、なぜ今も生き残っているのかいうと、技術が凄いあるんですね。シュートの打ち方ひとつにしても、そこまで考えているのかと。自分の身長が低いからこそ、どうやったら背の高い選手に勝てるのかどうか、ちょっとしたことでも深く深く考えていて、本当に良い選手になろうと意識しています。試合が終わってご飯を食べに行ったり。僕が試合に出てないときは、彼のプレーをベンチから見ているので、試合後に電話がかかってきたりとか。毎試合、話していたんですよ。凄く勉強にもなったし、凄く影響を受けている人ですね。
-一方、渡邉選手はポジション的な部分で参考にされていたのですか?
そうです。渡邉選手は身長も体重もポジションも一緒で。僕は高校生のときに渡邉選手を知ったんですけど、そのときからプレーを真似していました。体格がほぼ同じなので、向こうも凄く気にかけてくれていたみたいで、声をかけてくれたり。そういうのが自分のなかで残っていますね。
-何かジンクスはありますか?
会場に入ったら、必ず一本目のシュートを入れるようにしています。試合前に体育館入りをするときに、自分たちと相手のゴールにシュートを一本ずつ決めてアップをスタートしていますね。
-相手のところにも決めるんですね。
はい。試合になったら、結局打つじゃないですか。なるべく近いところから打って、できるだけシュートを全部入れるんですね。そうやってどんどん体を温め、距離を離していきます。これは必ずやっています。
-それはbjリーグに入ってからですか?
そうですね。
-何かきっかけがあった。
最初から一本目のシュートを入れたいなと思っていて。そんなに深く考えずにやっていてたんです。一本目のシュートはゴール下で打つので、絶対入るんですね。でも、これが入らなかった日があるんです(笑)
-ああ、そんな日が(笑)
それがもう散々だった日で(笑)2シーズン目くらいですね。そこからずっと続けています。
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選手としての喜びがあった。成長もあった。受け止めなければいけない、事実もあった。
刻み込んだ経験と苦い記憶は、これからの肥やしとなっていくに違いない。
彼は今、島根にいる。東京に次ぐ2つ目のチームとなった。
第弐章は、これからである。
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※頂いた質問のなかで、インタビューの流れのなかで伺ったものにつきましては、「読者からの質問」では割愛させて頂きました。