兵庫ストークス、インサイドを制し圧勝

中村大輔 追悼スピーチ
3月11日、日本中を悲劇に巻き込む大惨事が起きました。東北地方太平洋沖地震。私がこの一報を聴いたのは鹿児島から飛行機で神戸に向かう時でした。そして、空港で地震の映像を観ながら、まず私の頭によぎったのは、阪神・淡路大震災でした。

1995年1月17日。当時私は幼稚園生でしたが、地震発生後から、両親や親せきなどが生きていく為に本当に苦労していたのを覚えています。祖母の安否を確認するために、トラックで数時間も掛けて向かった父の姿を忘れません。あの時の恐怖感は何年経っても、忘れる事はできません。

それから私は高校を卒業し、鹿児島へ。4年間バスケットボールに打ち込み、2011年3月9日。晴れて兵庫ストークスの一員としてプロバスケットボール選手になりました。その2日後に起きた大災害。本日の対戦相手である日立電線ブルドッグスも試合会場で使っていた体育館が使えなくなってしまうなど、大変な思いをされたと伺っております。

私たち選手にできる事。それは自分たちの目標に向かって、一生懸命努力し、プレイし続けることだと思っています。この胸に刻まれている、『共に未来へ』。一般の方々から日本を元気にするメッセージを公募し、この言葉を私たち選手が選びました。どんなにつらい経験をしても、1人じゃない。共に未来へ切り開いていきたい。そんな想いが込められています。私たち選手ができること。そして今日、特にしなくてはいけないこと。それは最後まで諦めず自分たちが一生懸命プレイすることです。

この3月11日という日に、私たちのバスケットボールを観て、皆さんにもこの想いを感じていただければと思います。ありがとうございました。