前回のエントリーで紹介した新潟の新規加入4選手について、その後も調べていたら更にいろいろネタが出てきたので整理してみました。
まずは自動翻訳だと「一茶」と変換されてしまうイッサ・コナーレについて。
サウスカロライナ大での紹介
http://gamecocksonline.cstv.com/sports/m-baskbl/mtt/konare_issa00.html
サウスカロライナ大時代の背番号は33番。セネガルの公用語であるフランス語の他に、セネガルの民族語の1つであるウォロフ語、セネガルの隣国マリ共和国のバンバラ語、そして英語の4カ国語が話せるようです。話しかけるなら英語でいいのかな。
それにしてもサウスカロライナ大では全くチャンスが無かったようですね。17試合しか出場していません。わずか1年で転校し、その後4年を過ごしたのがハイポイント大。転校するとその1年目はプレー出来ないので、ハイポイント大に4年在籍してプレーしたのは3シーズンですが、4年生になってやっとスタートメンバーになりました。スタッツは29試合で平均9.6pts、5.2reb。なお2.4blkはカンファレンス1位。大学時代のポジションは、主にパワーフォワードだったようです。
彼自身のキャリアと主なスタッツについては、ユーロバスケットにて確認することができます。
http://www.eurobasket.com/player.asp?Cntry=FIN&PlayerID=42529&AmNotSure=1
アウトルックとしては、「アウトサイドシュートが上手く、ドリブルからの得点も出来る。このサイズでは内外ともこなせる素晴らしくオールラウンドな選手で、対戦相手にミスマッチの問題を与える。ゴール付近では非常に力強く、決定力のあるスコアラーである。運動能力が非常に高く、よく走る選手である。」とあります。悪くない評価ですね。
では、そんな彼のプレーを動画で見てみましょう。こちらは去年在籍したフィンランドのjamtlandでのハイライト動画です。
Jämtland Basket Highlight-tape (動画)
動画の最初にドライブからダンクを決めるのがコナーレ。背番号は13番です。画質がそれ程よくないので判別しづらいですが、右腕に白いリストバンドをしているのがコナーレです。で、もう一人チームにいる細い黒人選手がどうやらドクン・アキングベートのようです。限られた動画ですが、恐らく元仙台のママドゥ・ディオウフと同程度にアウトサイドもプレーできそうな感じはします(プレースタイルは微妙に違いますが)。ウィークサイドから跳んでくるブロックショットはかなり強烈です。
こちらはスウェーデンのスポーツサイトですが、jamtland在籍時のコナーレについての記事です。
Issa Konare lämnar Jämtland för finsk toppklubb
やはり同チームではドクンとコナーレがトッププレイヤーであることが分かりますね。インタビューに答えているのはチームの部長?のペック・ジャクソン氏ですが、チームの経営状態が悪く、選手のサラリー削減が云々・・・とあります。世界中どこでも、マイナーなリーグは大変のようです。
同じサイトから、この6月の時点でのコナーレに関する記事。
「コナーレ、jamtlandへ戻る」
jamtlandにとってコナーレは中心的存在であり、部長のジャクソン氏、そしてHCのヘンリー・ジャクソンもコナーレがいかにチームにとって重要な選手か認識している、という話。つまり、出来るならば再契約したい。しかし「契約においては我々が優先的な立場にあるが、もしこの夏、彼により有利なオファーがあったならば、彼はそれを選ぶ権利がある。」というコメントもあります。
で、実際にそうなりました。コナーレのエージェントであるWSIのサイト には、7/26にコナーレが新潟と契約したというニュースが掲載されています(現在はページの最下段に、その後はこちらのニュースアーカイブに)。どうやらウィリー・ヴィーズリーも、同じWSIの選手のようですね(まだクライアントのリストには名前がありません)。
しかしその数日前にはこの契約は概ね決まっていたようで、再契約を望んでいたjamtlandにリリースが出ています(7/23の記事)。
「コナーレ、日本へ」
ペック・ジャクソン氏の「悲しいが、理解できる話です。(中略)イッサと家族の幸運を祈っているよ。」というのは本音でしょう。
これはスウェーデンのサイトなので言語はスウェーデン語ですが、英語に変換するとこんな文章があります。
“it is completely different money over there.”
「サラリーの桁が違う」といった感じの表現でしょうか。新潟がそれ程の大金を払ったとは思えないのですが、前述のように同チームが経営的に厳しい事と(オファー出来る金額が限られる)、現在の強い円高が影響しているのかもしれません。
またこの記事には、同チームが最初に契約を希望したタイロン・レヴェット、かつてこのチームに在籍していた彼にもオファーしたが、フィンランドの他チームに行くことになりそうだという文章もありました。
という訳でjamtlandはこの夏、チームの主力選手を総入れ替えする為に奔走しているようです。つまり世界中のあちこちリーグのあちこちのチームで、似たような事が日常的に繰り返されているという事です。
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続いてウィリー・ヴィーズリー・・・ですが、彼はまだ大学を卒業したばかりなので正直あまりネタがない。
Willie Veasley’s other passion: video games (動画)
チームメイトとゲームを楽しむのが何よりの楽しみというヴィーズリー。
熱狂的なファンによるヴィーズリー賛歌
Senior Farewell: Willie Veasley
このフレーズはいいですね。
The plaudits have by now become platitudes. He is the Shane Battier of Butler basketball. He is the all time winningest player in Butler history. He is the nicest guy on the team. He is the hardest worker. He is selfless.
(彼に対する賞賛はもはや決まり文句となりつつある。バトラー大のシェーン・バティエ。バトラー大学史上、最高勝率の選手。チーム最高のナイスガイ。誰よりもハードワーカー。利己心の無い男)
このページの下から2番目の動画は、上で紹介してあるゲームとチームの動画ですが、一番下はチームのシニアデー、ホーム最終戦でのシニア(卒業生)を送るセレモニーの様子です。ヴィーズリーの紹介は最後ですが、拍手が鳴り止まないですね。
それにしてもネタが少ないので動画でも紹介しようかと思ったのですが、バトラー大の試合でヴィーズリーが目立つ場面は少ない。それはやはりゴードン・ヘイワードであり、シェルビン・マックであり、マット・ハワードであり、そしてHCのブラッド・スティーブンスなのです。
※バトラー大の動画を見ると「しかしヘイワードは凄いな・・・」と改めて思うのですが、さすがNBAにドラフトされるだけあります。だいたい、206センチでガードというのが謎だったのですが、これについては1年くらい前のSportsIllustrated誌に彼の記事が載っていました。ゴードンの父、ゴードン・シニアは、ゴードン・ジュニアを高校まで指導していたのですが、自分の息子は190センチくらいにしか背が伸びないだろうと思い、ずっとアウトサイドのシュートを練習させ、ガードとして鍛えてきたそうなのです。そのゴードン、高校入学時に身長180センチだったのが、卒業時には203センチになってしまった。なので206センチになった今も、ガードのようなプレーが出来るとか。顔は子供みたいなんですけどね~。
Gordon Hayward Butler Highlights Top 10 NBA pick
話はヴィーズリーに戻りますが、なんと言っても彼が注目されたのが、NCAAトーナメントのelite8をかけた戦い、リージョン第1シードのシラキューズ大との対戦でした(シーズン30勝5敗)。SUのエースはウェズリー・ジョンソン、彼は先日のNBAドラフトで1巡目4位に指名された選手ですが、バトラー大の前のゴンザガ大戦で31pts、14rebと絶好調だったにもかかわらず、バトラー大との対戦では自分より10センチ以上小さいヴィーズリーにマークされて思い通りのプレーが出来ませんでした(ジョンソンは203センチ、ヴィーズリーは190センチ)。そして大接戦で迎えた試合の終盤、残り2分を切ってから3ポイントを沈め、そして続くオフェンスでティップインを押し込んだのがヴィーズリーでした。彼のプレーが、このトーナメント最大のアップセットの試合を決定づけたのです。
5 Butler vs. 1 Syracuse Highlights
なお、このマッチアップでバトラー大を推す声はほとんど無く、CBSの試合前のプレビューでは、ハワードとヘイワードを間違えて紹介するほどの扱い(話で紹介されているのがハワード、動画で紹介されているのがヘイワード)。
5 Butler vs. 1 Syracuse Preview
当然、チームの勝利を期待していたのはバトラー大の学生と地元の人達だけなので、バトラーがアップセットを決めるとこうなります。
Butler beats Syracuse!
いいですね、こんな雰囲気。
チームを地道に支えてきた選手が、最後にその桧舞台で大事なシュートを決めてチームに勝利をもたらす。素晴らしい話です。
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続いてザック・アンドリュース。本名はZachary leon Andrewsです。
彼が在籍したユバ短大が所属するNJCAAというのは短大版のNCAAですが(とはいってもカンファレンスが24、加盟校は400を超え、バスケットはディビジョンⅠからⅢまであります)、ユバ短大は所属するベイバレーカンファレンスを4連覇しているなかなかの強豪校(2006~2010年)。ここから4年制の大学に編入学する選手も多く、中にはUNLVに進んだ選手もいるのですが、NCAAトーナメントで活躍したアンドリュースはその中でも突出した選手なので、卒業後もバスケット部の公式アナウンスに彼の名前が時々出てきます。
http://www.yccd.edu/yuba/athletics/basketball/men/announcements.php
初めてのプロ契約のニュースや、スペインでの活躍を伝えているところを見ると、いずれ「日本のプロチームと契約した」というリリースが出るかもしれませんね。
なお、ユバ短大時代にアンドリュースが決めたこのダンクは、ESPNの2005年のTOP10プレーでNo.1に選ばれました。バックボードからのダンクを決めながら、ディフェンスの選手を跳び越しています。
Zach Andrews: DUNK OF THE CENTURY (動画)
こちらはブラッドリー大での紹介。
http://www.bradleybraves.com/ViewArticle.dbml?DB_OEM_ID=3400&ATCLID=122995
「母親」の欄には、前回紹介した記事にあった通り高校時代に面倒を見てくれた友人の母親の名前になっており、その下の欄に「生理学的な両親」として、本来の、しかしもう縁の無い両親の名前が入ってます。
このサイズでバク転が出来たり、ドラムを演奏したり、夢はハリウッドで成功してレッドカーペットをロゼリン・サンチェス(プエルトリコ出身のグラマラスなモデルさん)と一緒に歩くことだったり、そのキャラクターは非常に興味深いです。
アンドリュースのプロとしてのキャリアは、こちらで整理したものを見ることが出来ます。彼のエージェントであるK.C.Callero氏のHPより。
http://www.perspectivebasketball.com/player?p=26
※エージェントと言えば、クリス・ホルムの話。彼のエージェントはMLA ですが、ここのHP及びtwitter にて、ホルムが新潟と契約したとニュースが流れたのが7月21日のこと。結局、ホルムは仙台と再契約したのですが、HP及びtwitterの表記はそのままになってます。どうなってるんでしょう?
アンドリュースに話を戻すと、彼は大学卒業後は主にヨーロッパでプレーしていたようです。しかし、私はヨーロッパのバスケに関してはあまり知識がなく、ある程度調べてはみたものの行き詰ってしまいました。そこでヘルプをお願いしたのが同じバスケットボールナビでスペインのバスケを専門に記事を書いているEl Baloncestoのとうみん氏です。状況を説明した質問メールを送ったところ、文字でびっしり埋まったメールが半日で返ってきました(笑)。さすがです。そして、ありがとうございます。
ここではそのメールを元に、アンドリュースに関する情報を整理してみます。ここから下はとうみん氏による多大なるヘルプによってまとめる事ができました。それでは大学卒業後のキャリアをチェックしてみましょう。
Costa Urbana Playas de Santa Pola (スペインLEB Silver)07
BC Igokea Partizan Aleksandrovac(ボスニアD1)07
Genc Banvitliler (トルコTB2L)08
Rayet Guadalajara (スペインLEB Bronze)08~09
CB Penas Huesca (スペインLEB Silver)09~10
アンドリュースは2007年の春にブラッドリー大を卒業後、まずはスペインLEBのCosta Urbana Playas de Santa Polaにてプレーしています。スペイン時代の契約については、FEB(スペインバスケットボール協会)の選手名鑑に記録が残っていて、同チームに2007年9月13日から同年11月10日まで在籍しています。わずか2ヶ月でチームを去ったというのは、恐らくチームの期待に応えられなかったのでしょう。
続いてアンドリュースが契約したのが、ボスニアD1(ディビジョン1)に所属するBC Igokea Partizan Aleksandrovacでした。このチームに至る経緯は理由があって、実は彼の先輩にユバ短大からブラッドリー大、そしてプロ選手へとアンドリュースと同じパターンでプレーしていたローレンス・ライトというフォワードがいたのです(198センチ、垂直飛び110センチ以上という選手で、去年はエジプトでプレーしていました)。彼が過去にこのボスニアのチームで活躍していたので、元チームメイトのアンドリュースもチャンスをもらえたのでしょう。しかし残念ながら、ここでも結果を出せずに早々にチームを去ったようです。
というのは、このシーズンの後半はトルコ2部リーグのGenc Banvitlilerでプレーし、12.5pts、11.8rebという数字を残したのですが、トルコ2部リーグはレギュラーシーズンは22試合で、シーズンは10月に始まり、ポストシーズンに進まなければ3月には終わります。11月にスペインでカットされ、ボスニアを経由し、そしてトルコのシーズンの半ばにチームに加入した事を考えると、ボスニアに在籍した期間も非常に短かったと考えられます。
しかし、このトルコでのまずまずの実績が、アンドリュースに新たな契約をもたらす事になります。
翌2008~2009シーズンはスペインLEBのRayet Guadalajaraにて25試合、26.55minの出場で12.1pts、10.2rebを記録。続く2009~2010シーズン、つまり昨シーズンは同じくスペインLEBのCB Penas Huescaにて45試合、25:03minで11.9pts、FG68.1%、7.4reb、1.2blkという成績を残しました。
さて、スペイン時代のシルバーやらブロンズは何を意味するのかと言うと、下記の通りになります。
まず、上位組織としてFEB、スペインバスケットボール協会があります。リーグとしてのトップはリーガACB(Asociación de Clubs de Baloncesto、バスケットボールクラブ協会)で、18チームが在籍。その下に、LEBというリーグがあります。ACBとLEBの間にはチームの昇格、降格があります。
で、そのLEB(Liga Española de Baloncesto、スペインバスケットボールリーグ)にはOro(金)、Plata(銀)があり、過去に存在したBronce(銅)は、今はもう存在しません。ゴールドとかシルバーというのは、これらを直訳したものです。なお、このLEBの更に下にはEBAという地域リーグがあり、ここはAからEまで5つのグループに分かれています。この他に、女子の1部、2部リーグがあります(Liga FemininaとLiga Feminina2)。
整理すると、アンドリュースが最初にスペインで入団したCosta Urbana Playas de Santa Polaは、LEBのPlataなので、トップから数えると3部リーグ。去年プレーしたCB Penas Huescaも同じ3部リーグで、その前のRayet GuadalajaraはBronce、つまり当時の4部リーグと言うことになります。
これらのリーグ編成は毎年のように変わるらしく、例えば去年はLEBのPlataにAとBがあったり、そもそもLEBのBronceは2007~2009シーズンの2シーズンしか存在しなかったりとか。
では、去年までいたLEBのPlata、つまりスペインでは3部に相当しますが、ここのレベルはどうなんだ?という話になります。
分かりやすいのは、既知の選手と比較することです。去年、同じPlataのFundación Adepal Alcázarに元bj富山のジェロッド・ワードがプレーしていました。彼はこのチームで19試合に出場し、22.9minで13.5pts、6.7reb、3pt36.6%という成績を残しています。プレーは確認していませんが、同チームには205センチのビッグマン、DUANE VIRGILがいた為か、恐らくアウトサイドでのプレーが多かったのでしょう、「ガード・フォワードとして」リーグのベスト5に入ってます(そのDUANE VIRGILはフォワードとしてベスト5入り)。こちらはそのFundación Adepal Alcázarにワードが入団する際の記者会見の様子。過去にもスペインでプレーした経験があるので、「戻って来ることが出来て嬉しい」という表現をしてますね。彼が笑ってる顔は初めて見たかもしれません。
そしてアンドリュース。彼の7.4rebは同リーグで8位。1.2blkは4位。更にアンドリュースはリーグの2ndチームに選ばれています。ワードとそんなに数字が違う訳ではないのですが、やはり選手としてのランクとしてはちょっと下になりそうですね。まぁワードはbjリーグではちょっと別格だったし、そもそも高校までは全米屈指の選手だった訳ですけど・・・。古い話ですが。
それでは最後にそのLEBでのプレーを見てみましょう。
Copa Adecco Plata: Lobe Huesca 89-67 Huelva la Luz
これは、リーグ戦とは別に行われるLEB Plataのカップ戦の決勝戦。アンドリュースのいるHuesca(緑のユニフォーム)とHuelvaの対戦で、Huescaが89-67で優勝しています。試合をフルで見ることが出来ますので、時間のある方はどうぞ。
アンドリュースは12番ですが、14番のStevie Johnson(198センチのフォワード)がチームのエースであり、ワードらと共にリーグのベスト5に選ばれているので、このリーグのレベルの参考になるでしょう。アンドリュースに関しては、よく動いてよく走り、リバウンドではかなりの強さを発揮していますが、いい意味で雑な感じがしますね。17才からバスケを始めただけあってまだ経験不足というか、老練さが足りないというか。しかし、溢れ出んばかりのタレントがあるのは間違いありません。こちらはこの試合中にアンドリュースが見せたウィンドミルダンク。
Final Copa Plata Huesca
こんなのが試合中に出たら、そりゃ盛り上がるってものです。
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それにしても、彼の場合はやはりその生い立ちが全てかもしれません。こちらは2004年のBasketball Times誌に掲載された、Tony Jimenez氏による記事からの抜粋です。2004年ですから、ヨバ短大時代の記事です。
「ユバ短大のヘッドコーチ、ダグ・コーネリアスは今でもこの事実に驚くことがあります。これは1954年ではなく、2004年の話なのだと。
ザック・アンドリュースの驚異の人生、かつて彼が過ごした日々からの大逆転を、誰が説明できるでしょうか?
アンドリュースはその年齢で経験するであろう事より遥かに多くのバックグラウンドを、これまでの生活で強いられてきたのです。彼はその人生の形成期を、多くの若者ならくじけてしまうであろう世界で過ごしてきました。それでも、彼は毎日が素晴らしい日々を過ごしているかのように振る舞っています。彼の回りには、立派な大人が側にいてくれます。彼はタトゥーを入れる事はなく、いつも笑い、毎日のように髪型や髪の色を変えることもなく、イヤリングは2つまでにしています。
「ザックはこの小さな田舎のキャンパスに、大きな影響を与えてくれたんだ。」と、コーネリアスは言います。
「彼は学校の人気者さ。学校で先生に呼ばれてランチしたとき、女性や職員達が、どれだけこの青年に入れ込んでいるかを話していたんだ。そんなのは今まで見たことが無いからね。」
アンドリュースに関するユニークな話をコーネリアスは知っています。それは、彼に会ってからまだ3週間の頃。もうすぐ母の日という時、それはアンドリュースがまだコーチとその妻、ヴィッキについてまだほとんど知らない頃なのに、彼は妻に連絡して、母の日のお祝いをしてくれたのです。コーネリアスの高校時代の知人で、NFLセントルイス・ラムズのジェイソン・シェホーンが昨シーズンの前にヨバ短大のチームに新しいシューズをプレゼントすると、アンドリュースはあまりに感激し、感謝の気持ちを記した手書きの手紙をシェホーンに届けるよう、コーネリアスに渡しました。
「たくさんの人が私のために多くの事をしてくれたのです。私は本当に感謝しています」とアンドリュースは言います。
「私が成長していく中で、正しい道と正しい行いを教えてくれた人達に、心から感謝しているんです。」
これこそが、アンドリュース物語の始まりなのです。
彼はフォスターホーム(里子を預かる家庭)で過ごした3才から14才までの間に、自らの進むべき道を見つけ出したのです。その後すぐに、アンドリュースはヴァレリー・ロペス・・・彼女の息子、スティーブはアンドリュースと共にフットボールをしていた・・・彼女に拾われ、それ以降、そこが彼にとっての「ホーム」になったのです。」
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今回、新潟に新たにやってくる選手達について調べていて思ったのですが、彼らはプロ選手である前に、一人の人間なんですね。もちろん、その仕事はコートで活躍する事だし、活躍すれば賞賛されるものの、期待に応えられなければ文句を言われ、場合によってはカットされてチームを去らなければいけないような立場にあります。
そして多くの場合、彼らは1年から数年でチームを、そして日本を去っていきます。そして大抵の場合は、その後の消息を知ることすらありません。
しかしアンドリュースの物語がまだ始まって間もないように、彼ら一人一人には長い物語があります。ヴィーズリーはまさにその一歩を踏み出そうとしているし、オコーレはその折り返し前後でしょうか。
彼らが評価されるのはコートの上での活躍とその数字だけですが、果たしてそれだけでいいのか。
メディアの端くれとして、私自身もあと一歩踏み込んで考えてみたいと思います。









