bjリーグ埼玉ブロンコスのHPにて発表されたように、同チームの新しいヘッドコーチがボブ・ナッシュに決まりました。ナッシュと言えば、昨シーズンまで滋賀レイクスターズでプレーしていたボビー・ナッシュ選手の父親になります。以前、bjリーグで「パパ」と言えばコービー・ブライアントの父親、ジョー・ブライアントでしたが、彼はJBLレラカムイ北海道と契約しましたので、今度はナッシュがbjリーグの「パパ」ですかね。
で、彼について調べてみるといろいろ面白い事も分かったので、今回は埼玉のボブ・ナッシュ新HCについてまとめてみました。
********************
ボブ・ナッシュ、正式にはロバート・リー・ナッシュはコネチカット州ハートフォード出身。1950年8月24日生まれですから、この夏で60才となります。
そのナッシュが若き日にプレーしたのが、ハワイ大学。彼はここで大活躍するのですが、まずはハワイ大について。
ハワイ大レインボーウォーリーアーズは、NCAAディビジョンⅠのWAC(ウェスタン・アスレチック・カンファレンス)に所属するバスケットボールチーム。なお、ハワイ大と言えばニックネームが「レインボーズ」でしたが、2000年から「レインボーウォリアーズ」に変更されています。このチーム名変更の経緯と、そしてその結果、TIME誌の選ぶ「最悪の大学チーム名ワースト2」に選ばれてしまった話もなかなか面白いので、時間のある方は読んでみてください。
The new University of Hawaii logo design is exciting to some, but upsetting to others
さて、そのハワイ大のバスケというのは、たぶん大抵の方が聞いた事が無いと思いますが、やはり強くはない。個人的にハワイ大で思い出したのは、かつて日本で開催されたジャパンクラシックに来日した、レジー・クロスというマッチョなフォワードがいた事くらいでしょうか。レジー・クロスは1989年のNBAドラフト2巡目、全体の44位でフィラデルフィアに指名されましたが、カットされてNBAでプレーするには至りませんでした。
では、このチームが発足した1912年から現在までの通算記録を調べてみると988勝980敗、つまりちょうど5割くらいという事で、やはり強くはない。伝統的に。
所属するWACについては、かつてはアリゾナ大、アリゾナ州立大、ブリガムヤング大(田臥選手がいたのはブリガムヤング大ハワイ校なのでまた別)、ユタ大などが所属していたのですが、ハワイ大が加入した1979年以降に関するならば、UNLV(ネバダ大ラスベガス校)、テキサス・クリスチャン大、ライス大、トルサ大などそれなりに名の知れた大学もあったもののいずれも他のカンファレンスに転籍しており、現在ではフレズノ州立大、ニューメキシコ州立大、ボイス州立大、ユタ州立大あたりの名前が思い浮かぶくらいでしょうか。
ちなみに、NCAAディビジョンⅠの全33カンファレンスでのランキングでは、過去の通算成績、及び最新のランキング(2010年)においていずれも10位前後になります。ちなみに、2010年のNCAAトーナメントに出場したのはユタ州立大で、リージョン(地区)では第12シード。1回戦では第5シードのテキサスA&M大(ビッグ12カンファレンス4位、全米23位)に53-69で敗れています。
そもそもハワイ大がポストシーズンのトーナメントに出場したのが通算でも10回程度しかないのですが、そのうちNCAAトーナメントは4回しかありません。その最初が1972年で、この時は1回戦でウェバー州立大に64-91で敗れたのですが、それでも、ハワイの人たちにとってこのチームは特別な存在として記憶されています。
このチームの主力5人は「ファビュラス・ファイブ(伝説の5人)」と呼ばれ、今でもハワイのバスケット界では讃えられる存在なのですが,、その1人が、今回、埼玉のHCに就任することになったボブ・ナッシュなのです。
********************
ファビュラス・ファイブの5人とは、アル・デービス、ジェローム・フリーマン、ドワイト・ホリデー、ジョン・ペネバッカー、そしてボブ・ナッシュ。彼らがチームに揃う前のシーズン、つまり1969~1970年のシーズンが6勝20敗という成績だったにも関わらず、翌シーズンは23勝5敗の好成績を収め、NIT(Natinal invitation tournament)に初めて招待されました。ここでは1回戦でオクラホマ大を87-86の接戦で勝利するものの、準々決勝では同大会の3位となるセントボナベンチャー大に64-73と敗れています。
これだけでもハワイの人々を熱狂させたファビュラス・ファイブは、続く1971~1972シーズンでは更に見事な快進撃を見せます。シーズン24勝2敗の好成績を残し、ついにNCAAトーナメントへの出場を果たしたのでした。ハワイの人たちを熱狂の渦に巻き込んだファビュラス・ファイブについてはこちらもどうぞ。
ナッシュはこの2シーズンで平均16.8pts、13.6rebを記録しており、またこの時のシーズン361リバウンド、及び1試合30リバウンドは現在でもハワイ大の記録となっています。ナッシュはこのシーズン後の1972年にNBAドラフトでデトロイト・ピストンズに1巡目、全体の7位で指名されました。NBAでは通算5シーズンをプレーした他、ABAでもプレー経験があります。ナッシュのNBAでの記録はこちらをどうぞ。
なお、ハワイ大でこの前後10シーズンのHCを務めたのはレッド・ロッカ氏ですが、この方はレインボー・クラシックのホスト役としても活躍された方です。これは、NBAドラフト前に大学を卒業したNBA候補生を集めた大会で、同大会は1989年からはジャパン・クラシックとして日本でも3年に渡って開催されました。前述のレジー・クロスや、その後日本で活躍することになるエリック・マッカーサーらに加え、ビッグネームではゲイリー・ペイトンなどが日本でプレーを披露しています。
更に、このロッカ氏自身もNBAで活躍した選手であり、NBAで初となるオールスターに出場した他(1951年)、1955年にはシラキューズ・ナショナルズで優勝も経験しています。ロッカ氏のスタッツはこちら。
********************
ボブ・ナッシュの話に戻ります。彼は1980年代の中盤からアシスタントコーチとしてチームに加わり、実に23年間に渡ってチームをサポートしてきました。そのうちの20年間は、ライリー・ウォレスHCをアシスタントする立場でした。
このウォレスHC時代には、NCAAトーナメント3回、NITトーナメント6回となかなかの実績を残しています。個人的に印象の強かったのはガードのアンソニー・カーターがいた世代でしょうか。彼はドラフト外ながら、NBAで10年以上のキャリアを継続しています。
そんなウォレス時代が終わったのが2007年。この時点で既に66才となった同HCは引退を決意し、ここでハワイ大が後継者に選んだのが、地元ファンの支持も根強いボブ・ナッシュでした。ハワイ大はナッシュと3年契約を結びます。
かつての名選手であり、同大学初のNBA選手であり、そして通算すると30年近くに渡ってハワイ大を支えてきたナッシュ・・・つまりハワイのバスケット界の伝説的人物である彼にかかる期待は大きかったと思います。しかし、残念ながら彼はHCとして結果を残せなかった。
1年目が11勝19敗(カンファレンス7勝9敗)で最終結果はカンファレンス5位、2年目が13勝17敗(同5勝11敗)で同8位。
で、面白いのはここで同大の運動部長、ジム・ドノバンが1年の契約延長をしたこと。この時点で3年契約の2年目が終わっており、残りはあと1年。そこにプラス1年の契約延長をし、更に、もう1年のオプションも付けました。それはポストシーズントーナメントに出場するか、又は、これからの2シーズンのいずれかで18勝以上をあげる事が条件で、このどちらかを達成すれば、HCとしての契約がもう1年延長されます。
これは、ナッシュのHCとしての契約が遅れ、最初のリクルーティングが上手くいかなかったことも理由の1つのようで、最低でもあと2年は同大で指揮をとるという事は、その後の新入生のリクルーティング、つまり選手強化にプラスに作用することが期待されたものと思われます。そう、この時点ではまだ期待されていました。
しかし、続く2009~2010年シーズンも、結局は10勝20敗(カンファレンス3勝13敗)で最下位・・・と、3年連続で成績が下降するという事態に陥ってしまい、このシーズン終了を持って、ハワイ大はナッシュの解雇を決定します。ナッシュは同大に残る意思もあったようですが、結局はチームを去る事になりました(その後、ハワイ大は新しいHCにPAC-10のUSC:南カリフォルニア大でアシスタントコーチを務めていた、ギブ・アーノルドを指名しています。まだ40才と若い彼はハワイの高校出身なので、その縁もあったようです)。
さて、なぜナッシュが勝てなかったのか?については、前述のようにリクルーティングが上手くいかなかったこと(ハワイはその立地上、常にリクルートに関しては不利のようです)、そしてシーズンを通じて怪我人が多かった事があげられるようです。特に最後のシーズンは、主力のフォワードが1シーズン欠場しただけでなく、11人いる奨学金選手のうち、常に誰か怪我で欠場しているという惨状でした。
ナッシュは3年前のHC就任時、前任のウォレスHCよりアップテンポなバスケを目指すとのコメントをしています。ウォレスHCは堅実なハーフコートバスケを中心にゲームを組み立てていましたが、ナッシュはより早く、エキサイティングなゲームを展開しようとしました。しかし、そのゲームプランは上手く機能しなかったようです。特にそのシュート力不足、得点力不足は顕著でした。
********************
この状況を見て決断したのが、ハワイ大の体育部長、ジム・ドノバンでした。彼の言葉で「キャリアの中で最も辛い決断だった」というコメントがあったとおり、地元で人気のあるナッシュHCを解雇するのは簡単な事ではありませんでした。
ただ、彼にとってはそれ以上に大事だったのは、経済的な側面です。チームを強化することにより、財政的に立ち直る事が急務となったのです。
ナッシュがHCを務めた3年の間、同大の観客動員数は減少を続けました。前任のウォレスHCの最終シーズンの観客動員数は平均で6,435人でしたが、ナッシュHCの最後のシーズン、つまり3年後の2009~2010年はその数字が平均5,667人にまで減少しており、これは過去16年で最低だったそうです。同チームのチケット売り上げは、大学の総収入の4~5%を占めています。
チームが勝つか負けるかにより、その収入の差は1年で25万ドルから50万ドル(1ドル90円換算で2,250万円から4,500万円)にもなります。これは、例えばポストシーズントーナメントに出場する事による放送権料、ESPNなどのケーブル局や地元TV局ですが、これらによる収入が含まれます。大学運営における財政赤字を考えると、これらの数字は大きな意味を持つのです。同大は10ミリオン(9億円)程度の財政赤字を抱えており、これは過去最大とか。
この状況を打破する為に、ドノバンはナッシュの契約を24万ドル(約2,160万円)で買い取ってまで、新しいHCを雇いました。曰く、「収入を増やすには、チームが勝つしかない」と。ちなみに、このナッシュの契約買取の為に同大学には既に募金が10万ドル(9,000万円)も集まっているとか。つまり、それだけ大学が地元の人々とコミュニティに支えられているという事です。
ドノバンのコメントの中で特に印象的だったものがありました。ドノバンとナッシュHCの最後のミーティングで、ドノバンは問いました。来年に向けて、この状況を打破できる計画はあるのか?と。
「私が求めたのは、回りの人達を変化させられる事ができるかどうか、ということ。それはスポンサーであり、シーズンチケット所有者であり、ファンのひとりひとりであり、そしてハワイという州そのもの・・・その彼らが、『お!これなら来年は期待できそうだ!』と言えるような変化だ。そして、ナッシュはそれに対する答えを持ち合わせていなかった」
他のインタビューで「ハワイ大は、ケンタッキー大でもシラキューズ大でもないんだ」というコメントがあったのですが、例えこのレベルでも、チームのマネジメントは非常にシビアなものがあるようです。ではトップレベルの大学なら?HCの年俸が億単位ですから、言うまでもないですね。舞台は大学ですが、やっている事は正にプロフェッショナルです。
********************
ここまで読むと、「ナッシュはHCとしての裁量は持ち合わせていないのか?」と思う人もいるかもしれません。しかし、ナッシュに関する多くの記事を読んだ中で、彼を非難する内容はほとんどありませんでした。
彼は上品な人柄で、誰からも尊敬されており、威厳があって、そして何より忍耐強い。彼の人となりは、彼がインタビューに答える動画を見ても伝わってきます。3年間で期待された結果を残せなかったにも関わらず、同大バスケ部のブースタークラブは彼の栄誉の為に、パーティーを開催したそうですが、そんな逸話からも、その人柄が伝わるというものでしょう。
そして何より、彼の前任者であり、ナッシュが恩師と崇めるウォレス前HCも、「彼は有能なコーチであり、自分の後継者には彼しかいなかった」と今でも認めていることです。
そんなナッシュがbjリーグで結果を残すことが出来るか?これは、私自身とても興味があります。
アジア系の多いハワイで長いキャリアを過ごしているのは、間違いなく日本人選手にとってプラスでしょう。外国人のリクルーティングに関しても、既存のルートとは違った選手を期待できるかもしれません。
またハワイ大では、リクルートの弱さから常にアンダーサイズのチームでゲームを展開してきたことも、bjリーグではプラスに作用すると考えられます。状況的に、日本のバスケに通ずる物があるような気がします。
あと、個人的に気に入っているのは、ハワイ大のチームカラーがグリーンという事ですね。選手としても、コーチとしてもずっとグリーンのチームにいる。そして、埼玉ブロンコスのチームカラーも、もちろんグリーン。
こういうのって、結構大事だと思うんですよね(笑)。









