埼玉ブロンコス、ナタリー・ナカセHC インタビューVol.1

ナタリー・ナカセ(Natalie Nakase)HC

今シーズン、ヘッドコーチの交代一番手という不名誉な称号を得た埼玉ブロンコス。
新ヘッドコーチに就任した弱冠31歳のナタリー・ナカセはbjリーグ、初の女性ヘッドコーチという名誉を得る事となった。1980年生まれのナタリー・ナカセは1999年から2003年まで名門UCLAでポイントガードとして活躍し、大学卒業後はアメリカ、ドイツのプロリーグでプレー。昨年bjリーグ、東京アパッチのアシスタントコーチに就任し、今シーズンは東京アパッチが活動休止などもあって、埼玉に活躍の場を移していた。11月20日の富山グラウジーズ戦ではマーレイ前ヘッドコーチの出場停止処分に伴い、ヘッドコーチ代行としてチームを指揮。攻守の切り替えを速くした采配が見事に的中し、初勝利を収めている。
WSJ(ウォールストリートジャーナル)の日本語版にも紹介された事もあり、多くのメディアが殺到しているかと尋ねてみると、「2,3社のインタビューに応じた」事を教えてくれた。
多くのメディア対応で、さぞウンザリしているのではないか予想していたが、元気に日本語で「大丈夫」と笑顔を見せた。

※今回のインタビューで出来る限り注意した部分はジェンダー(性別)についての質問を基本行わないということ。男性社会における女性の進出についてや、「休日に料理するのか」といった質問はバスケットボールナビの趣旨から大きく逸脱するので、質問していない。
以下、インタビュー(2011年11月30日 文=定山 敬/写真=西本 匡吾)

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―バスケを始めたきっかけ?
6歳の時からです。始めたきっかけは父親がバスケ好きだったことです。既に二人の姉が居て、父は出来れば男の子が欲しかったと思います。父の願望もあって男の子のように育てられましたね。

―どんな子供でしたか?
Tomboy(おてんば)でしたね。父がバスケだけでなく、色んなスポーツが好きだったので、学校が終われば沢山のスポーツをして遊んでいました。あまり笑わない父だったので、父が笑顔になってくれればと喜ばせるようなことをしていましたね。

―コーチになるきっかけ?
大学1年生の時にACL(前十字靭帯)断裂で手術しました。手術もその後のリハビリも大変で、その時にもう一度ケガをするような事があったら、引退しようと心に誓いました。幸い、その後大学4年間大きなケガも無く、その後4年くらい選手としてプレーするができましたが、次のステップを考えてコーチの仕事を選びました。

―理想のコーチ像、または尊敬するコーチは?
沢山います。強いて何人か挙げれば、(元LAレイカーズの)フィル・ジャクソン。彼はコービー・ブライアントのようなアグレッシブな選手たちを上手くまとめて、優勝し続けたから。デューク大学のコーチK(マイク・シャシェフスキー)も素晴らしいと思います。彼もNCAA(大学バスケ)の中で常に勝ち続けていますし、選手達を上手に訓練しています。母校UCLAの伝説ジョン・ウッデンもその一人です。

―今挙げた3人の中で誰に一番近いと感じていますか?
実は3人共にお会いしたことは無いのですが、私自身はこの3人ではなく、昨シーズン東京アパッチのヘッドコーチだった、ボブ・ヒルに近いと思っています。

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続きは【プレミアム限定】となります。⇒「ボブ・ヒルに似ていると感じた理由」、「アシスタントとヘッドコーチの違い」、「埼玉ブロンコス強い部分、弱い部分」などについて語る